2014年1月6日月曜日

FACT06 The Author Meets Critics

『老いを歩む人びと:高齢者の日常からみた福祉国家フィンランド民族誌』(高橋絵里香著、勁草書房、2013年)


日時: 2014 年 2月 1日(土) 13 時~ 18 時(予定) 
 *筑波人類学研究会 第14 回定例会と合同
会場: 筑波大学  総合研究棟(本部棟向い)A108

 
<筑波人類学研究会 第 14 回定例会>
13:00 -13:30 研究発表 1(30 分)
 富谷仁貴 (筑波大学 大学院 大学院 人文社会科 学研究人文社会科・博士前期課程)

13:30-14:10 研究発表  2(40 分)
 田中孝枝 (東京大学 大学院総合文化研究科 超域文化科学専攻・博士課程)

14:20 -15:40 コメント+質疑応答( 80 分)
 コメンテータ:塚原伸治(日本学術振興会特別研究員PD /東京大学洋文化研究所)


<FACT 06 : 合評会>
16:00 -16:30 著者解題( 30 分) 
 高橋絵里香さん(千葉大学文部・准教授)
  (『老いを歩む人びと』出版社サイト
 
16: 40- 18: 10 コメント+質疑応答( 90 分)
 コメンテ ータ:根本 達(筑波大)
          木村 周平(筑波大)
  

18:30 - 懇親会 懇親会







◆開催報告(河野正治/筑波大)        *以下の文章に関して無断転載を禁じます



2014年2月1日(土)、筑波大学総合研究棟A108にて、FACTの公開合評会と筑波人類学研究会の定例会が合同で開催された。この「合同」は初の試みである。当日は、発表者とコメンテーターの6名に加え、筑波大学の教員2名、大学院生10名、学部生3名が参加し、会場の教室は満席となった。

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 最初に、筑波人類学研究会の定例会として2つの研究発表がなされた。まず、富谷仁貴氏が、地域ブランドを理解するための人類学的視点について報告を行った。富谷氏は、山形県産日本酒の商品化の過程を事例とし、(「ひと」からの)「名づけ」と(「もの」からの)「名乗り」という用語を用いながら、「ひと」がブランドを創るという発想ではなく、「ひと」と「もの」との共創として地域ブランドの形成を捉えるという視点を提示した。

次に、田中孝枝氏が、中国の日系旅行会社での調査にもとづく報告を行った。田中氏は、組織と現場のあいだを行き来する手配の仕事を事例とし、時間や形式の遵守のもとで決定を導く最終日程表の発行をめぐって、組織と現場の論理がいかにせめぎあうのかに焦点を当てた。そして、現場で起こっている「事態」を確認できない担当者が、「事態」を「問題」としないように、日程表に何を書くかをどのように調整しているのかが示された。

2つの発表に対して塚原伸治氏がコメントを行なった。塚原氏は日本の老舗企業と商慣行について民俗学的研究をしている。塚原氏はコメントの最後で、両者に共通することとして、商品や価値がどのようにつくられていくのかということの内側を見ていく際に、その商品としての不完全さゆえに埋め込まれてしまっているものをいかに記述・理解していくのかという点が課題となっていくだろうと述べた。このコメントを受けて両発表者が応答し、続いてフロアも巻き込んだディスカッションがなされた。

どのようなやりとりがあったのかを簡単に紹介したい。富谷氏の発表についてのコメントの中で、塚原氏は、酒という対象を扱うに際して、(酵母の問題も含めれば)それ自体が生き物でもあるという点に着目し、「ひと」と「もの」が相互に対話するものとして地酒を理解しようとする姿勢を魅力的な点とした。そのうえで、塚原氏は、民俗学や経営学の成果に触れながら、日本酒を造る「ひと」と酒という「もの」のあいだだけではなく、両者を超えて外側に広がるものとの関係、たとえば制度や技術、味の変化や嗜好の問題といったものとの関係、さらに近年においては中小企業M&Aによるブランド評価との関係を考えることの必要を述べた。また、塚原氏は、この議論において山形県産日本酒ならではのことは何かという点を疑問として提示した。このコメントに対する応答の中で、富谷氏は、山形県産日本酒における「山形らしさ」とは、酒の原料や生産過程自体にあるのではなく、生産の過程で山形の地域環境なり山形の作り手にあった調和的な関係がつくられることによって現れるものだと述べた。その後のディスカッションでは、消費社会論との関係でどのように位置づけられるのか、山形産という地域性がいかにつくられているのか、味や香りの表現において酒の「名乗り」はいかに現れるのか、杜氏はいかに味の評価をしているのか、有名な地酒は県産として括られたくないのではないか、などといった質問が会場から寄せられた。

次に、田中氏の発表について、塚原氏は、現場を「はっきりさせ」なければならないのにもかかわらず、会社に留まる必要があるためにそれが原理的に不可能であるという最初から組み込まれた矛盾があるからこそ、手配の仕事に(見ている側にとっての)面白さがもたらされているのではないかと指摘した。さらに、塚原氏は、田中氏の取り上げる日系旅行会社の手配の仕事に特徴的な点としてマニュアルやトレーニングの欠如を指摘し、そうした業務上の「ゆるさ」と、日程表というドキュメントの持つ強い力との落差こそが、商品自体の面白さや、さらには仕事の面白さをも生んでいるのではないかと述べた。また、塚原氏は、日系企業ならではの特徴として、たとえば最近よく宣伝されるような非マニュアル的な日本の「おもてなし」の影響がありうるのかと質問した。このコメントへの応答として、田中氏は、一見自由で「ゆるく」見える業務であるが、それは「事態」を「問題」にしないスキルを身に着けているがゆえに可能になっていると述べた。そして、この「ゆるさ」は現場の個人にとっては辛さでもあり、それゆえ、会社内における個人のプレゼンスの上昇に向かうのではなく、(転職後も含めた)個人の「仕事生活」における未来を開くものだと述べた。

その後のディスカッションでは、なぜ、どのようにしてお客さんはこの会社を選んでいるのか、個人のつながりで成り立っている面が強いとすれば会社をいかに組織としてつなぎとめていけるのか、いずれは辞めていくかもしれない個人にとってこの会社に属するメリットとしてどのようなことが考えられるのか、「事態」が先にあってそれが「問題」になるというよりはむしろ「問題」が現れると同時に「事態」がつくられるという視点で考えてみてはどうか、といった質問やコメントがなされた。

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2つの研究発表の後に、高橋絵里香著『老いを歩む人びと――高齢者の日常からみた福祉国家フィンランドの民族誌』(勁草書房、2013年)の公開合評会がFACT06として行われた。

まず著者の高橋氏自身によって本書の紹介がなされた。筑波大学比較文化学類のOGでもある高橋氏は、学類時代の卒業研究のことから話を始め、アメリカのナーシングホーム・エスノグラフィーの文献研究から、北欧のフィンランドに調査地を決めた経緯までを語り、現在に至る研究関心がどのように形成されていったのかを柔らかい口調で説明した。そして、研究を進めるなかで行き着いた地点として、現代的なトピックを人類学的に研究するためには、ある種の望ましい像というものを相対化し、制度を地域の文脈に位置づけなくてはならず、それがあってはじめて民族誌の記述ができると述べた。本書はその言葉通りに3部構成となっているが、高橋氏は続いて、各部の狙いについて説明した。著者解題の最後に、高橋氏は、つねに自分の関心は制度としての福祉というよりは老いにあったが、しかし老いについての民族誌的記述をするためには、現場を形作る国家・地域レベルでの制度史や、そこで使われる思想や概念の系譜を整理して示したうえでないと、あえて価値中立的に書いている民族誌が、既存の言説に簡単に乗っかってしまい、単純な賞賛か批判のどちらかのように受け止められてしまう対象だと述べた。そしておそらくこうした、民族誌的記述だけで論じることができないということは、現代的なすべての制度の特徴なのではないか、と語った。

著者解題に続いて、2人のコメンテーターによる批評がなされた。最初にコメントをした木村周平氏は「本書はきわめて人類学的な著作である」と述べた。その理由として、福祉や老い、フィンランドという地域といった本書の重要な要素が、私たちの知っているイメージや概念から微妙にずれ、輪郭がぼやけていき、相互に連関しあうことを民族誌的記述から示している点をあげた。また、木村氏は、将来的に福祉や老いについて人類学的な観点から取り組む学生や研究者の増加が予想されると言う。そして、本書がそうした人たちに対してフィールドの入る際の視点や記述の仕方について示唆を与えると同時に、先行研究も体系的・網羅的に整理されており、この分野における必須の参照点となり続けるだろうと述べた。さらに、木村氏は、北欧の特徴というものを知ることができる点も高橋氏の描く民族誌の良い点だとし、スクルッタおじさんのような文学的なものを取り入れている点も含め、描かれている事例も印象深いものであるとした。そのうえで、「老いたとか老いる人びとをロマンチックに描くのではなく、ある種の共感というものがあるな、と。それを褒め称えるわけでもなく切り捨てるわけでもなく、自分に近いものとして老いというのを捉えているな、と。自分もその一員であって、共に生き、そして死んでいく者というスタンスで描かれていて、すごく面白いなと思いました」と感想を述べた。

その反面、木村氏は、本書が読み手にとってハードルが高いという側面もあると指摘した(上の高橋氏の、制度史や思想史を整理したうえでないと民族誌部分に入れないのが現代の制度の特徴、という言葉はこの指摘への回答でもある)。そのうえで木村氏は、次の5つの質問を高橋氏に投げかけた。①政策提言とか道徳的な価値観を取り入れないとすれば、高橋氏の立ち位置はどこにあるのか、記述を通じて何を批判しようとしているのか、②今後の方向性として、本書を規定する二元論(福祉と老い、マクロとミクロ、社会と個人、制度と経験)を維持するのか、それとも二元論を組み替える可能性はあるのか、③今後増えると予想される現代的な社会状況における人類学的研究について、いかに制度を記述するのかということに何か考えはあるか、④ジェンダーによって老いの違いはあるのか、⑤本書で描かれている互酬的なものとしての老いは、青年や壮年にとってはどのように想像されるのか。

次にコメントをした根本達氏は、本書が、学生だけではなく誰にとっても勉強になると語った。そして、根本氏は「先行研究のレヴューにしても、現地の言語の話にしても、どこの話にしても、全体的に現地とか研究の中で常識というふうに思われているようなものを、自分が全体を記述することで、そこで相互作用を描きながらも、さらにもう一歩そこからズレる点というものを自分できっちり人類学的に民族誌的に記述していくということで、いわゆる常識と考えられているところをきっちり鍵括弧に入れていって、常識をとにかく徹底的に崩してやろうというのが最初から最後までずっと繰り返されている」ことが本書の印象深い点だと述べた。たとえば常識的には直線的に下降すると考えられる老いのプロセスは、民族誌的な事例から見直され、居住形態の推移のなかで波打つ形で互酬を取り込むプロセスだと理解される。このように常識を見直すことに加え、自らの分析やデータさえも批判の対象とする姿勢について、根本氏は、その再帰的な取り組みが非常に現代的な研究であると述べた。また、根本氏は、各章の独立性が強い一方で、たとえばマクロからミクロへの流れというように、全体の構造がしっかり整理されている点も勉強になると語る。さらに、本書におけるデータの用い方として、学際的に多様な資料を扱いながらも最後にはきっちり民族誌的なデータに落とし込んで考察している点を評価した。

その一方、根本氏は、6章から8章までの民族誌の部分で示されることと、否定形が多用される結論とのあいだに、つながりが見えにくいとも述べた。そのうえで、根本氏は、木村氏の質問とも一部重なる3つの質問を高橋氏に投げかけた。①特に福祉研究や老年研究の初学者にとって本書における「老い」の定義は曖昧にみえるが、本書における「老い」の明確な定義はあるのか、②福祉国家の不確実性を感じているのは若者ではないのか。だとすれば、互酬の連鎖としての老いは、税金を払っている中年・若者にどのように共有されているのか。そして、本書で示される「戦略的全体論」は地域的限定性に加えて、世代的限定性もあるのではないか、③再帰的なスタンスを貫く本書では否定形が多いため、他の研究とのつながりがなかなか見えてこないが、それでは高橋氏の研究はどのような研究と重なりがあるのか。

高橋氏の応答では、上に述べた自身のスタンス(北欧型福祉の称揚でもあら捜し的な批判でもない記述)と本書での限界について確認し、今後の研究の展開についても述べられた。その後のディスカッションでは、参加者から、高橋氏の立ち位置が良いか悪いかの「あいだ」に立つという形の相対主義と言えるのではないかという指摘があったり、望ましいかどうかを判断しないことが望ましくないという水準についてはどのように考えているのか、近代化や合理化のなかで年齢のカテゴリーや老年観はいかに変遷してきたのかといった質問が出た。そして、博士論文の出版に際して論文審査でのコメントをどれくらい反映させたのかといった裏話的な質問もなされるなど、リラックスした雰囲気での質疑応答となった。

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FACTと筑波人類学研究会の初めての「合同」となった今回の研究会は、午後1時から6時に及ぶ長丁場となった。参加者には疲れが見られたものの、社会学や歴史学や民俗学の研究者も交えた議論はそれなりに内容の濃いものとなった。研究会の後には大学近隣の居酒屋で懇親会が行われ、3人の発表者を囲んで参加者のあいだで交流がなされた。