2015年5月4日月曜日

FACT 13 The Author Meets the Critics

箕曲在弘(著)『フェアトレードの人類学:ラオス南部ボーラヴェーン高原におけるコーヒー栽培農村の生活と協同組合』(めこん、2014年)

 【筑波人類学研究会第17回定例会/FACT13】

<日時>
 5月17日(日曜日) 14:00~17:30
 於 筑波大学共同利用棟A103 Map バス停「大学公園」下車すぐ
 (いつもと会場が異なるので注意してください)

<筑波人類学研究会・第17回定例会>14:00~ 研究発表  

 発表者:   黒川知洋 (筑波大学大学院修士課程 国際公共政策専攻)
 発表題目: 中山間地域における都市農村交流と「観光のまなざし」論 (仮)
14:25~ 質疑応答
 コメンテーター: 魯在祥(筑波大学大学院博士課程 歴史・人類学専攻)

<FACT13: The Author Meets The Critics>     
15:00~ 合評会  

 著者解題: 箕曲在弘 (東洋大学)
 コメント:  中川理(立教大学)
        難波美芸(一橋大学・大学院生)

17:30 終了(予定)
18:00~ 懇親会



■参加記録■


2015年5月17日(日)、筑波大学共同利用棟A103にて、筑波人類学研究会の第17回定例会およびFACTの第13回公開合評会が開催された。当日は東京や水戸などの遠方からの参加者を含め20名を超える参加者が集まり、活発に議論がなされた。
 まず、筑波人類学研究会の定例会として、黒川知洋氏(筑波大学大学院人文社会科学研究科国際公共政策専攻博士前期課程)により、「中山間地域における都市農村交流と『観光のまなざし』論」と題した研究発表がなされた。
 黒川氏ははじめに、J. アーリの「観光のまなざし」論と、それに依拠した日本の農村研究を批判的に検討した。それらの先行研究は、都市住民や政策から農村に向けられる「まなざし」に対する抵抗として農村住民の対応を描くが、観光が産業として成立している地域ばかりを取り上げてきたきらいがある。それに対して、黒川氏は、都市農村交流(グリーンツーリズム)を実施していながらも観光の産業化に至っていない地域に着目し、その一事例として山口県長門市俵町地区における農村住民の取り組みについて実地調査をおこなった。そして、この地区の農村住民が政策的まなざしに抵抗するのではなく、むしろ政策的まなざしを積極的に受容しつつも、それを選択的に操作しながら地域活動を展開していく様子を、丹念なインタビュー記録を中心とする自身の調査データから明らかにした。
 黒川氏の発表に対し、コメンテーターの魯在祥氏(筑波大学大学院人文社会科学研究科歴史・人類学専攻博士後期課程)はまず、観光が産業として成立しているか否かをどのように判断しているのかを質問した。次に、魯氏は、黒川氏の取り上げた事例のなかには先行研究の枠組みからでも捉えられるものが幾つかあるのではないかと指摘した。最後に、国家、都市住民、農村、NPOといった諸アクターの立場によって「まなざし」のあり方は異なるはずであるため、それら4つの「まなざし」を区別して議論を進めていくべきではないのか、と魯氏はコメントした。
 引き続き行われた質疑応答では、フロアも交えて議論が続けられ、以下のような質問や意見が出された――観光の産業化が進んでいない地域における農村住民の取り組みを考えるには、「観光のまなざし」論とは異なる枠組みのほうが有用ではないか。政策と政策的まなざしにはどのような違いがあるのか。農村住民にとっての日常性/非日常性に関する考察を深めれば面白い研究になるのではないか。都市農村交流を通して農村住民自身はいかに変容し、その変容にはどの程度の持続性があったのか。このようなコメントをもとに、発表者とフロアとで熱心なやり取りが交わされ、発表者にとっても参加者にとっても有意義な会となったといえる。

 筑波人類学研究会に引き続き、箕曲在弘著『フェアトレードの人類学――ラオス南部ボーラヴェーン高原におけるコーヒー栽培農村の生活と協同組合』(2014年、めこん)の公開合評会が行われた。まず著者の箕曲在弘氏(東洋大学)から簡単な解説が行われた。箕曲氏はまず本書のもとになった自身のフィールドワークを振り返り、研究テーマの選定、調査前の方針、家計調査における試行錯誤、情報収集の場などについて語った。著者解題の最後に、箕曲氏は、(1)フェアトレードの実践者、(2)フィールド派の開発経済学者、(3)人類学者、それら各々に対して本書を著すことで何を訴えたかったのかを述べた。
 次に2人のコメンテーターがコメントを述べた。最初に、箕曲氏と同じラオス研究者である難波美芸氏(一橋大学大学院社会学研究科博士課程)によるコメントがなされた。難波氏はまず、近年のラオスでは西洋発の様々な価値観の流入がみられ、フェアトレードもそのひとつであると述べた。そのうえで難波氏は、フェアトレードの「公正さ(フェアネス)」をめぐる3点のコメントを述べた。第一に、「公正さ」が現地の人の役に立っているのかという問題に触れ、本書がとても豊かな家計調査をとおして十分にその問題に答えていると述べた。第二に、「公正さ」をつくる基準がどこにあるのかという問題に触れ、本書の事例では成功/失敗の基準が曖昧になっているからこそフェアトレードが運動として持続しているではないかと述べた。第三に、国際フェアトレード認証機構(FLO)の「公正さ」に関して、認証システム自体が何を削ぎ落としながら成立しているのかを人類学的に追究することもできるのではないかと述べた。また、本書に登場する農民と仲買人の関係には、怠け者としてのラオス農民という支援者一般に流布したイメージとは異なる、特有の時間感覚があるのではないかと述べた。
 続いて、中川理氏(立教大学)は、フランスにおいて農民たちがどのような取引を公正だと感じるのかという「公正さ」の感覚が、運動体の掲げる「公正さ」に農民が必ずしもシンパシーを感じていないという点で、本書におけるラオス農民の「公正さ」の感覚と不思議にも近しいと述べた。そのうえで、近年においてラオス農民がフランスにおける自身のフィールドに流入していることにも触れ、自身の研究と本書との比較民族誌の可能性を提起した。中川氏はさらに、このようなラオス農民の「公正さ」の感覚がいかなるものであるのかを、箕曲氏も参照するJ. スコットのモラル・エコノミー論との対比から述べた。中川氏によると、パトロン-クライアント関係を「全面的に」受け入れたうえで義務を怠ると反乱が起きるというスコット流のモラル・エコノミー論の図式に対して、箕曲氏の描く農民は、特定の取引相手に「全面的に」依存するのではなく、複数の取引相手を持ち、状況に応じて取引相手を選別することによって自らの自律性を維持するというかたちの「公正さ」の感覚を持っているという。中川氏は最後に、このような「全面的に」依存しないという農民の戦略に、地域を越えた比較民族誌の可能性があるではないかと述べた。
 2名のコメンテーターとそれに対する著者の応答の後、最後にフロアを交えてディスカッションが行われた。フロアからは、以下のような質問やコメントがなされた――農民自身がフェアトレード運動の担い手となる可能性はあるのか。外部に開かれたフェアトレードに対してモラル・エコノミー論はどれくらい有用であるのか。本書で描かれるフェアトレードと国家との関係はどのようなものなのか。家計調査において農民のごまかしはどの程度見られたのか。フェアトレードの実践者が本書をいかに読んだのか。このような諸点が提起され、様々な議論が活発に交わされた。
 当時は、フェアトレードの実践者としての顔も持つ箕曲氏によるラオスコーヒーの販売も行われ、多くの参加者が購入していたようである。なお、このコーヒーの販売を手掛ける団体は、箕曲氏本人が中心となって設立し、学生が運営に積極的に携わり、毎年ラオスへのスタディーツアーをおこなうなど、生産者であるラオス農民と積極的につながりながらフェアトレード運動を推進している。このような、単に研究するだけでなく、実際に問題と関わっていくという箕曲氏の人類学実践は参加者につよく響いた。
 研究会の後には、大学近くの中華料理屋「百香亭」で懇親会が行われ、様々な立場や関心をもつ参加者同士が親睦を深める良い機会となった。

文責:河野正治/筑波大学大学院人文社会科学研究科博士後期課程