2015年5月4日月曜日

FACT 13 The Author Meets the Critics

箕曲在弘(著)『フェアトレードの人類学:ラオス南部ボーラヴェーン高原におけるコーヒー栽培農村の生活と協同組合』(めこん、2014年)

 【筑波人類学研究会第17回定例会/FACT13】

<日時>
 5月17日(日曜日) 14:00~17:30
 於 筑波大学共同利用棟A103 Map バス停「大学公園」下車すぐ
 (いつもと会場が異なるので注意してください)

<筑波人類学研究会・第17回定例会>14:00~ 研究発表  

 発表者:   黒川知洋 (筑波大学大学院修士課程 国際公共政策専攻)
 発表題目: 中山間地域における都市農村交流と「観光のまなざし」論 (仮)
14:25~ 質疑応答
 コメンテーター: 魯在祥(筑波大学大学院博士課程 歴史・人類学専攻)

<FACT13: The Author Meets The Critics>     
15:00~ 合評会  

 著者解題: 箕曲在弘 (東洋大学)
 コメント:  中川理(立教大学)
        難波美芸(一橋大学・大学院生)

17:30 終了(予定)
18:00~ 懇親会



■参加記録■


2015年5月17日(日)、筑波大学共同利用棟A103にて、筑波人類学研究会の第17回定例会およびFACTの第13回公開合評会が開催された。当日は東京や水戸などの遠方からの参加者を含め20名を超える参加者が集まり、活発に議論がなされた。
 まず、筑波人類学研究会の定例会として、黒川知洋氏(筑波大学大学院人文社会科学研究科国際公共政策専攻博士前期課程)により、「中山間地域における都市農村交流と『観光のまなざし』論」と題した研究発表がなされた。
 黒川氏ははじめに、J. アーリの「観光のまなざし」論と、それに依拠した日本の農村研究を批判的に検討した。それらの先行研究は、都市住民や政策から農村に向けられる「まなざし」に対する抵抗として農村住民の対応を描くが、観光が産業として成立している地域ばかりを取り上げてきたきらいがある。それに対して、黒川氏は、都市農村交流(グリーンツーリズム)を実施していながらも観光の産業化に至っていない地域に着目し、その一事例として山口県長門市俵町地区における農村住民の取り組みについて実地調査をおこなった。そして、この地区の農村住民が政策的まなざしに抵抗するのではなく、むしろ政策的まなざしを積極的に受容しつつも、それを選択的に操作しながら地域活動を展開していく様子を、丹念なインタビュー記録を中心とする自身の調査データから明らかにした。
 黒川氏の発表に対し、コメンテーターの魯在祥氏(筑波大学大学院人文社会科学研究科歴史・人類学専攻博士後期課程)はまず、観光が産業として成立しているか否かをどのように判断しているのかを質問した。次に、魯氏は、黒川氏の取り上げた事例のなかには先行研究の枠組みからでも捉えられるものが幾つかあるのではないかと指摘した。最後に、国家、都市住民、農村、NPOといった諸アクターの立場によって「まなざし」のあり方は異なるはずであるため、それら4つの「まなざし」を区別して議論を進めていくべきではないのか、と魯氏はコメントした。
 引き続き行われた質疑応答では、フロアも交えて議論が続けられ、以下のような質問や意見が出された――観光の産業化が進んでいない地域における農村住民の取り組みを考えるには、「観光のまなざし」論とは異なる枠組みのほうが有用ではないか。政策と政策的まなざしにはどのような違いがあるのか。農村住民にとっての日常性/非日常性に関する考察を深めれば面白い研究になるのではないか。都市農村交流を通して農村住民自身はいかに変容し、その変容にはどの程度の持続性があったのか。このようなコメントをもとに、発表者とフロアとで熱心なやり取りが交わされ、発表者にとっても参加者にとっても有意義な会となったといえる。

 筑波人類学研究会に引き続き、箕曲在弘著『フェアトレードの人類学――ラオス南部ボーラヴェーン高原におけるコーヒー栽培農村の生活と協同組合』(2014年、めこん)の公開合評会が行われた。まず著者の箕曲在弘氏(東洋大学)から簡単な解説が行われた。箕曲氏はまず本書のもとになった自身のフィールドワークを振り返り、研究テーマの選定、調査前の方針、家計調査における試行錯誤、情報収集の場などについて語った。著者解題の最後に、箕曲氏は、(1)フェアトレードの実践者、(2)フィールド派の開発経済学者、(3)人類学者、それら各々に対して本書を著すことで何を訴えたかったのかを述べた。
 次に2人のコメンテーターがコメントを述べた。最初に、箕曲氏と同じラオス研究者である難波美芸氏(一橋大学大学院社会学研究科博士課程)によるコメントがなされた。難波氏はまず、近年のラオスでは西洋発の様々な価値観の流入がみられ、フェアトレードもそのひとつであると述べた。そのうえで難波氏は、フェアトレードの「公正さ(フェアネス)」をめぐる3点のコメントを述べた。第一に、「公正さ」が現地の人の役に立っているのかという問題に触れ、本書がとても豊かな家計調査をとおして十分にその問題に答えていると述べた。第二に、「公正さ」をつくる基準がどこにあるのかという問題に触れ、本書の事例では成功/失敗の基準が曖昧になっているからこそフェアトレードが運動として持続しているではないかと述べた。第三に、国際フェアトレード認証機構(FLO)の「公正さ」に関して、認証システム自体が何を削ぎ落としながら成立しているのかを人類学的に追究することもできるのではないかと述べた。また、本書に登場する農民と仲買人の関係には、怠け者としてのラオス農民という支援者一般に流布したイメージとは異なる、特有の時間感覚があるのではないかと述べた。
 続いて、中川理氏(立教大学)は、フランスにおいて農民たちがどのような取引を公正だと感じるのかという「公正さ」の感覚が、運動体の掲げる「公正さ」に農民が必ずしもシンパシーを感じていないという点で、本書におけるラオス農民の「公正さ」の感覚と不思議にも近しいと述べた。そのうえで、近年においてラオス農民がフランスにおける自身のフィールドに流入していることにも触れ、自身の研究と本書との比較民族誌の可能性を提起した。中川氏はさらに、このようなラオス農民の「公正さ」の感覚がいかなるものであるのかを、箕曲氏も参照するJ. スコットのモラル・エコノミー論との対比から述べた。中川氏によると、パトロン-クライアント関係を「全面的に」受け入れたうえで義務を怠ると反乱が起きるというスコット流のモラル・エコノミー論の図式に対して、箕曲氏の描く農民は、特定の取引相手に「全面的に」依存するのではなく、複数の取引相手を持ち、状況に応じて取引相手を選別することによって自らの自律性を維持するというかたちの「公正さ」の感覚を持っているという。中川氏は最後に、このような「全面的に」依存しないという農民の戦略に、地域を越えた比較民族誌の可能性があるではないかと述べた。
 2名のコメンテーターとそれに対する著者の応答の後、最後にフロアを交えてディスカッションが行われた。フロアからは、以下のような質問やコメントがなされた――農民自身がフェアトレード運動の担い手となる可能性はあるのか。外部に開かれたフェアトレードに対してモラル・エコノミー論はどれくらい有用であるのか。本書で描かれるフェアトレードと国家との関係はどのようなものなのか。家計調査において農民のごまかしはどの程度見られたのか。フェアトレードの実践者が本書をいかに読んだのか。このような諸点が提起され、様々な議論が活発に交わされた。
 当時は、フェアトレードの実践者としての顔も持つ箕曲氏によるラオスコーヒーの販売も行われ、多くの参加者が購入していたようである。なお、このコーヒーの販売を手掛ける団体は、箕曲氏本人が中心となって設立し、学生が運営に積極的に携わり、毎年ラオスへのスタディーツアーをおこなうなど、生産者であるラオス農民と積極的につながりながらフェアトレード運動を推進している。このような、単に研究するだけでなく、実際に問題と関わっていくという箕曲氏の人類学実践は参加者につよく響いた。
 研究会の後には、大学近くの中華料理屋「百香亭」で懇親会が行われ、様々な立場や関心をもつ参加者同士が親睦を深める良い機会となった。

文責:河野正治/筑波大学大学院人文社会科学研究科博士後期課程





2015年3月6日金曜日

FACT12 Anthropology Talks

"What is Culture? A Systematic Defense of Anthropology"

Heung Wah Wong 
Associate Professor, The University of Hong Kong

Talk and book launch "Revisiting Colonial and Postcolonial: Anthropological Studies of the Cultural Interface" (co-edited with Keiji Maegawa, Bridge21 Publications, 2015)
  
Date: March 21 (Sat): 15:00-17:30
Place: 総合研究棟A (Laboratory of Advanced Research A) 107, University of Tsukuba

2015年1月13日火曜日

FACT11 The Author Meets Critics


『老舗の伝統と〈近代〉:家業経営のエスノグラフィー                  

塚原伸治著、吉川弘文館、2014年


日時: 2015年 2月 6日(金) 13時~ 17 時分(予定) 
 筑波人類学研究会 第16 回定例会と合同
会場: 筑波大学  総合研究棟(本部棟向い)A108

 
13:00-15:00 <筑波人類学研究会 第 16回定例会>
13:00 -13:50 研究発表
  • 発表:長谷川悟郎 (筑波大学人文社会系・助教) 
  • 機織りと村落開発:マレーシア農耕民イバンの生業からの考察
  • イバン人の機織りについて、その商業開発のはかどらない状況を、国家の開発の文脈にそって彼らの生業観から理解を試みる。ボルネオ島の在来民社会では、染織は日常生活における儀礼用の布づくりとして行なわれてきた。その文化的営為を当事者らの生業観に位置づけて捉え直す試みは、これまでの民族誌研究で見えてこなかった伝統文化に対する彼(女)らの理念を理解することにつながる。
14:00 -14:50 コメント+質疑応答
  •  コメンテータ:田本はる菜(筑波大学大学院・人文社会科学研究科・博士課程)
15:00-17:00 <FACT 11 : 合評会>
15:00 -15:30 著者解題( 30 分) 
  • 著者:塚原伸治(東京大学東洋文化研究所・特任研究員)
長い歴史と経験によって培われた確かな経営から、老舗への注目が高まっている。しかし、「伝統」という価値を負うことは、同時にその束縛も引き受けることを意味する。「伝統」とともに生きるとは、どのようなことなのか。佐原・近江八幡・柳川での現地調査を素材に、そこに生きる人びとの視点で老舗の経営実践を追究し、老舗の伝統をめぐる現在に迫る(出版社HPより)。』    
     

15: 30- 17: 00 コメント+質疑応答
  • コメンテ ータ①:青木隆浩 (国立歴史民俗博物館・准教授、地理学・民俗学)
  • コメンテータ②:市野澤潤平(宮城学院女子大学・准教授、文化人類学)
   
17:30 - 懇親会

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(以下、参加記録です)


201526日、筑波大学総合研究棟A108にて、塚原伸治著『老舗の伝統と〈近代〉』(吉川弘文館、2014年)の公開合評会が行われた。当日は発表者とコメンテーターに加えて、筑波大学の教員2名、大学院生12名、学部生5名、さらに他大学から2名、出版社からも参加者があった。会場は満席となり、本著作に対する関心の高さを窺がわせた。
 まず著者の塚原伸治氏(東京大学東洋文化研究所、特任研究員)は、単著刊行までの議論の変化の経緯について述べた。博士論文の段階では、生業における民俗学の研究史上の問題を出発点に老舗の問題へと発展するものであったが、単著では読者層を広げるため、老舗の議論を冒頭に据えるものへと論理構成を変えた、という説明がなされた。さらに著者自身の今後の研究課題として、以下の3点が挙げられた。①引き続き同フィールドで細緻な分析調査を行うこと。②老舗に比べ流動性を持つ商店街を追跡し面的な広がりという視点での町調査。③流通する金品などに着目した経済的な視点からの祭礼調査。
 次に2人のコメンテーターからコメントが述べられた。まず市野澤潤平氏(宮城学院女子大学、文化人類学)は人類学におけるエスノグラフィーを銘打つ際には、老舗が持つ社会文化的背景や宗教的背景といった価値観の描写を細密に行うべきではないかとし、伝統や老舗の理論や概念を追及するものか、細やかな事例描写を中心に述べるのかのいずれかに方針を定めるべきと指摘した。また、単著においては「経済合理性」と「伝統」を対立軸とした議論がなされているが、伝統は「非合理的」なものとは限らず、必ずしも対立関係にはないとした。単著で指摘した事例は経済学の用語に収まるものもある。しかし、その中でも経済学の用語や伝統の合理性の中でだけでは捉えきれない「非合理的」なものは実際にあるのだろうと推測し、それを細密に描写し、分析していくことの中に研究の面白さがあると今後の可能性を示唆した。
次に、青木隆浩氏(国立歴史民俗博物館、地理学・民俗学)は準備した詳細なレジュメをもとに、以下のようなコメントを述べた。「伝統」や「老舗」という言葉を多用しているが、これらの語彙は一般にあまりに多義的に用いられるため学術用語として使うことが出来ない。むしろ、曖昧な言葉に対しての定義づけや言葉の使用を放棄し、別の言葉で解釈していくことが必要と指摘した。総評として、参照すべき既存研究の比較考察が欠けているため、論点が明確となっていないと指摘した。一方で「アクシデントへの対応」や「伝統的商慣行の選択「伝統が独立してふるまっている」という指摘は、老舗研究にとって極めて重要な課題であり、今後も論理を明確にして展開したら、よりよい研究として発展が見込めると評価した。
最後にフロアを交えてディスカッションが行われた。フロアからは、タイトルを〈近代〉としたことのねらい(近代とは何なのか、山かっこを付けた必要性)はどこにあるのか、冒頭の先行研究の整理において古い伝統論の批判をしたにもかかわらず、後半の記述には古い伝統論を前提としているという誤解を招いてしまうものがある、などの点が指摘された。最後にフロアの武井基晃氏(筑波大学、民俗学)から、「狭い民俗学に囚われる必要はない」として、以下のメッセージが述べられた。著者の老舗研究は狭い民俗学の中ではオリジナリティがあるが、民俗学の伝統論などの議論形式の枠を取り払ってみた際、他分野の老舗研究の中では十分に独自性と存在を示せてはいない。だから今後は民俗学というベースを持ちながらも学際性を持って活躍してもらいたい、その上で民俗学の学会にも目配せをしてもらうことで、隣接分野の人類学を含めた様々な学問分野を横断しながら、民俗学に新たな風を呼び起こす存在になってほしい。
終了後には和やかに懇親会が行われ、参加者同士の交流を深めた。
 
(文責:黒河内貴光(筑波大学大学院))

2014年12月20日土曜日

FACT 10 Anthropology Talks


The Politics of Precariousness and Protest in Post-Disaster Japan: 
 From the Freeter Movement to Anti-Nuclear Activism
 
Robin O'Day, 
  JSPS postdoctral researcher, University of Tsukuba 

Place: Room B113, Institutes of Humanities and Social Sciences (人文社会学系棟), University of Tsukuba
Time: 10:10-11:30


  

<Abstract>
In this talk I will provide an overview of two separate but connected research projects.  First, I will provide an overview of my doctoral research organized under the title, “Japanese Irregular Workers in Protest: freeters, precarity and the re-articulation of class.”  The dissertation is based upon twenty months of fieldwork research (2007-2009) with four union movements attempting to politically mobilize freeters (youth who drift from job to job).  Through ethnographic fieldwork with these social movements, I argue that the loss of place for young irregular workers, as a consequence of a restructured labor market along neoliberal principles, is contributing to the re-articulation of class politics and protest in post-industrial Japan.  Second, by following the theme of political protest I will also explain how I interpret the connection between an emergent politics of youth activism around irregular employment with the protests that emerged after Japan’s “triple disaster” in 2011.


 大学へのアクセス http://www.tsukuba.ac.jp/english/access/tsukuba_access.html
大学構内地図 http://www.tsukuba.ac.jp/english/access/map_central.html
筑波大学文化人類学研究室 https://sites.google.com/site/tsukubaanthropology/
研究会のサイト http://fact-tsukuba.blogspot.jp/

 

2014年6月18日水曜日

FACT 09 Anthropology Talks



Fukushima Future: 
Nukes, Renewables, and Temporal Momentums in Coastal Japan
 
Satsuki Takahashi 
 Assistant professor, George Mason University (webpage)


  • Time: 10:30-12:30, July 3 (Thu.) 
  • Place: Room B113, Institutes of Humanities and Social Sciences (Jinbun-shakai Bld.) (map), University of Tsukuba (access)


今回は平日の午前中という悪条件にもかかわらず、筑波大学の教員・院生・学類生をはじめ、田大学所属の院生・研究者も含め20人ほどが集まりました。
発表者の高橋さんは震災前のご自身の研究(漁業の近代化と環境保護に関わる動き)からはじめ(福島第一原発とパイプでつながった種苗研究所の写真が印象的でした)、そこに現れる、蜃気楼を追いかけるような、果てしないプロセスとして近代化を捉え、それを震災津波後の風力発電プロジェクトにあらわれた未来(とりわけ近い未来(near future)≒明日)の描かれ方とがどのように関わり合っているか、ということについて発表しました。
会場からは、近代と近代化の違い、日本における「近代」という語の「空っぽさ」、プロジェクトとプロジェクションの関係、などについて質問やコメントが出ました。
 

2014年5月24日土曜日

FACT08 The Author Meets Critics


巡礼ツーリズムの民族誌:消費される宗教経験』(門田岳久著、森話社、2013年)


日時: 2014 年 6月 7日(土) 14時~ 17 時30分(予定) 
 筑波人類学研究会 第15 回定例会と合同
会場: 筑波大学  総合研究棟(本部棟向い)A111

 
14:00-15:50 <筑波人類学研究会 第 15回定例会>
14:00 -14:50 研究発表
  • 発表:藤井 真一 (大阪大学大学院・人間科学研究科) 
  • 「紛争の周縁、生成される平和―ソロモン諸島ガダルカナル島における日常性の考察」 
  • 平和の人類学は戦争(紛争)の不在・
    欠如によって平和を定義する従来のやり方に代えて、「他者と共に生きられる関係性をつくっていくこと」あるいは「人々の実践を通して生み出されていく」ものとして積極的に定義できる平和を考えている(平和生成論)。この考え方は戦争と平和とを背反的に捉えるものではないため、「戦争の最中の平和」をも射程に収めることができる。
    「民族紛争」
    のような暴力行為や衝突などは人類学者のみならず外部観察者の目を惹く現象である。しかし、紛争に着眼したとき周辺視野に像を結んでいるはずの平和的な日常生活はあまり省みられない。本報告では、ソロモン諸島の「民族紛争」を事例に平和という課題へ切り込んでみたい。不断に平和を生成し続ける駆動力として贈与行為を位置づけ、(1)平和の動態、(2)平和と紛争の連続性、(3)両者の動態的な関係を考察する。
15:00 -15:50 コメント+質疑応答
  •  コメンテータ:奈良雅史(日本学術振興会特別研究員PD/ 国立民族学博物館)


16:00-17:30 <FACT 08 : 合評会>
16:00 -16:30 著者解題( 30 分) 
『巡礼ツーリズムの民族誌:消費される宗教経験』     
     パッケージツアーに取り込まれ、商品化した聖地巡礼は、宗教の衰退した姿でしかないの
           か?四国遍路の巡礼バスツアーへの参与観察から、「現代の/我々の」宗教的な営みが
           持つ可能性を探る(出版社HPより)

16: 30- 17: 30 コメント+質疑応答
  • コメンテ ータ①:山中 弘 (筑波大人文社会系教授、宗教学・宗教社会学)
  • コメンテータ②:上形智香(筑波大学大学院人文社会科学研究科博士前期課程、民俗学)
   
18:00 - 懇親会
 

研究会報告

  まず、筑波人類学研究会の定例会として、藤井真一氏(大阪大学大学院博士後期過程)により、「紛争の周縁、生成される平和――ソロモン諸島ガダルカナル島における日常性の考察」と題した研究発表がなされた。
 藤井氏は、2009年以来、ソロモン諸島ガダルカナル島を対象として、民族紛争後の平和構築の過程に関する現地調査を断続的に実施してきた研究者である。発表の冒頭では、「平和の人類学」の学説史的背景と、小田博志らが提唱し藤井氏の共鳴する、「平和生成論」の方法論的枠組みが示された。その後、ソロモン諸島において1990年代末から2000年代初頭にかけて発生したとされる「エスニック・テンション」に際して、多言語状況下において顕在化した「民族の差異」のあり方と、当時ガダルカナル島北東部で生活していた人々の紛争下における生存戦略と生活実態について詳細な報告がなされた。藤井氏はその上で、生活上の対立関係を契機として贈与交換が行われることに着目し、民族紛争後の平和構築を含む平和状態の創出・維持・再生産のメカニズムを、贈与財の生産過程とその授受の具体的なあり方を手がかりとして理解することを目指すという視座を提示した。
 藤井氏の発表に対し、コメンテーターの奈良雅史氏(日本学術振興会特別研究員PD/国立民族学博物館)は、紛争下における生活実態に着目することで紛争状態と平和状態を対立する二項としてではなく連続的な事象として捉えようとする試みを評価した上で、次のように指摘した。すなわち、藤井氏の主張するように平和が単に紛争の欠如であるに留まらず、平和状態とは暴力の発現を抑制する動態的な過程を内包するものであり、紛争状態とは抑制されていた緊張関係が顕在化していく過程であるとすれば、紛争状態もまた単なる平和状態の欠落ではなく、そこには社会関係を構築し平和へと向かう契機が孕まれているのではないか、という問いかけがなされた。質疑の中では、暴力を抑制する機制のみならず平和状態から暴力が生起する契機についても検討する必要性や、代表的な贈与財である貝貨と近代貨幣との関わりを整理する必要性などが指摘された。また、会場から「エスニック・テンション」以後のソロモン諸島において行われてきた和解のための賠償や贈与交換に政府などの公的機関が深く関与してきた事実が指摘され、現代国家的な脈絡とミクロな生活実態の双方に目を配った議論を行うべきであるとのコメントがなされた。発表時間の関係上、こうした論点について十分に議論を深めることができなかったのは残念であった。
(文責:佐本英規)
                                                    
 筑波人類学研究会第15回定例会に引き続き、門田岳久著『巡礼ツーリズムの民族誌――消費される宗教経験』(2013年、森話社)の公開合評会が行われた。
 まず著者の門田岳久氏(立教大学観光学部)から「自著省察」と題して簡単な解説が行われた。研究を始めた当初思い描いていた民俗学への期待と、その後痛感した現実。しかし方法論を模索するなかで、ナラティブアプローチや世俗化論と再聖化論、消費社会論、身体論等、既存の民俗学・文化人類学の枠に囚われずに試行錯誤した結果、本書が出来上がったことが述べられた。「佐渡」というフィールドの魅力、そして本書を書き上げたいま感じている民俗学への可能性についても語られた。氏が思う民俗学のもつ魅力とは、自社会研究の人類学との融合や、社会学・生活史研究・宗教学等とのハブとなる可能性をもっていることで、それは、Reflexive Ethnographyとしての民俗学ともいえるものだという。また、フィールドで出会う人を「対象」として突き放すことができない、民俗学者のもつ「ナイーブさ」も魅力的であり、大事にしたいところだと述べられた。
 次に2人のコメンテーターからコメントが述べられた。まず山中弘氏(筑波大学教授・宗教学)は、本書がエスノグラフィーという枠に収まらず、多様な学問領域を縦横に駆使して書かれた、今日的問題意識と広い射程をもった挑戦的著作であると評価した。巡礼ツーリズムを通じた宗教的経験を分析することによって、「宗教的なるもの」と「民俗的なるもの」の現代的位相を検討していると述べた。それは、日常生活に存在する宗教のあり方と、それを論じる宗教研究者の研究態度を批判的に論じていると指摘し、宗教研究者としての立場から以下の点を質問された。まず、本書で扱う「巡礼ツーリズム」という概念が四国遍路に限定されたものなのか、それとも宗教の消費化、資源化といった「経験消費」の議論まで展開できるものなのか。2点目は、第8章で扱った「とちんぼ」の消失と巡礼経験を通じて語られる不思議な体験の間に関連があるのではないかということ。3点目は、結論で述べられる「浅い信仰」「それなりの信仰」と、それに対して宗教研究に存在する信仰に対する「ロマン主義的な語り」についてである。
 また、上形智香氏(筑波大学大学院修士課程・民俗学)は民俗学を専攻する大学院生の立場から次のようなコメントを述べた。まず、宗教的な行為を「消費」との関連から捉える視点は、自身の研究テーマとも関心が近く、これから修士論文を書く上で参考にしたいと述べられた。くわえて、調査時のインフォーマントとの距離の取り方について、ナラティブアプローチを試みて成功した点と失敗した点、先行研究のなかで民俗学の信仰研究をあまり取り上げていないのはなぜか、といったことについて質問がなされた。
 最後にフロアを交えてディスカッションが行われた。フロアからは、巡礼ツーリズムと観光、およびそこに見るロマン主義的な反応について、またタイトルを「民族誌」としたことのねらい、などについて幾つもの質問・コメントが出され、登壇者とフロアのあいだで活発に議論がなされた。
(文責:松岡薫)